2010年09月04日

かがり火

家康は浜松城に帰還していた。あまり詳しく覚えていない。しかし、尻に熱いもの感じた。すぐに門をあけ、かがり火をたけ!信玄は警戒して城には近づかなかった。
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posted by 坂本龍馬 at 17:40| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 史跡めぐりと温泉めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月26日

鶴翼の陣

家康軍と信長の援軍は、三方が原付近で、武田信玄の部隊を追走していた。もうすぐ坂にさしかかる。信玄は、驚くに違いない。
家康はそう考えていた。信長が、今川を桶狭間で奇襲したように、武田をたたくことができれば。ようやく坂にさしかかった。
なに!!信玄は、坂のすぐ向こうにこちらに陣を向けて構えているではないか。魚鱗の陣。こちらは、鶴翼の陣。通常、鶴翼の陣は、少ない敵を包み込む陣形。信玄の後方部隊を隘路にて迎え撃つために敷いた陣だ。信玄の本隊を迎え撃つためではない。
家康は自分の体から汗がふきだし、めまいのようなものを感じていた。
posted by 坂本龍馬 at 22:37| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 史跡めぐりと温泉めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月26日

いざ出陣

そこへ火急の知らせがきた。信玄が浜松城の目の前を通過する模様。出撃すべきです。徳川四天王達が盛んに家康に掛け合った。滝川一益はもはや抑えることは出来まいと感じた。家康は、討死覚悟で号令した。いざ出陣じゃ。
posted by 坂本龍馬 at 20:46| 東京 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 史跡めぐりと温泉めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

大久保忠世

口を挟んで来たのは、大久保忠世であった。領内を通過するを黙って見過ごすは、三河武士の恥である。討って出るべきである。そもそも、信長は、金ヶ崎の時も、姉川の時も、我が殿に借りがあるはずだ。主力部隊を投入するどころか我が殿自身が援軍に馳せ参じているのだ。それがどうだ。信長殿からの援軍は、たった数百。そこまで話したところで家康は忠世を制止した。
posted by 坂本龍馬 at 21:11| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 史跡めぐりと温泉めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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